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母国イタリアでの第二次世界大戦を経て、32歳のリナは夫と共にブラジルへ渡る。
ジャーナリストという面も持ち、戦争を見つめ戦ったリナが降り立ったその新たな場所は、多民族で複雑な社会でありながらも、人々が大らかに歌い集う喜びを持つ国。
彼女は、イタリア仕込みの合理的で繊細なモダニズム建築と、ブラジルの大らかで土着的なダイナミズムを融合させた独自の建築を作り出していく。民衆のための建築と呼ばれる作品たちは、今なお多くの人に愛されている。
伝統や潮流に逆らい、たとえ醜いと評されたとしても、リナは一貫して『人々に使われるための空間』であることを大切にしてきた。一見大胆で自由なその建築は、そこを使う人々にとって彼らが社会や文化を作るための一助でありたいという謙虚な願いと、細やかな想像力、そしてその土地への敬愛が生み出した、極めて繊細で血の通ったあたたかなものに感じられる。

「建築とは単なるユートピアではなく、みんなに成果をもたらすひとつの手段なのです。」
リナのこの言葉は、これからの公共の場所づくりに対し、鋭くも期待を込めて響く。
ワタリウム美術館の協力のもと、岡山理科大学工学部建築学科 弥田俊男研究室と共同で開催。4m四方の模型をはじめ大型模型4点と、図面や写真等のパネル約30点を展示。またリナの言葉たちを点在させており、会場全体を楽しんでいただくことを目的に企画した。

《展示作品》
・ガラスの家1951 /ガラスタイルの床の再生
・サンパウロ美術館 1957-1968
・SESC ポンペイア文化スポーツセンター1977-1986
・サンタ・マリア・ドス・アンジョス教会1978
・リナ・ボ・バルディがデザインした椅子 3作品
・リナ・ボ・バルディのインタビュー映像

作家プロフィール

|リナ・ボ・バルディ|

1914 ローマにて誕生。
1934 ローマの美術高校を卒業、ローマ大学建築学部入学
1940 ミラノに移り、ジオ・ポンティのもとで活躍。インテリアデザインや都市プロジェクト、雑誌の記事やイラストの仕事に取り組む。
1946 美術評論家の夫と結婚。ブラジル・リオデジャネイロに移る。翌年サンパウロへ。
1951 初めての建築作品である自邸、ガラスの家が完成。
1959 ブラジル東北部の文化的に重要な地域サルヴァドールにある、バイーア現代美術館の館長になる。
1963 植民地時代の古い複合施設をリノベーションし、バイーア現代美術館に工芸の研究施設・工房・インダストリアルアートの学校を加えた民族文化伝承館を建設。
1968 サンパウロ美術館(MASP)が完成。
1977 SESCポンペイアの依頼を受け、古い工場を公共のスポーツ文化センターにリノベーションする。
1986 バイーア州サルヴァドールの旧市街の修復プロジェクトがスタート。
1990 サンパウロのシティ・ホールの設計がスタート。
1992 シティ・ホールの改築の途中、自邸にて生涯を閉じる。

主催:岡山理科大学工学部建築学科、株式会社シファカ
企画協力:ワタリウム美術館
展示協力:西沢立衛、株式会社秀光、株式会社グリーン・ワイズ、弥田俊男研究室

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